【幸せなら手をたたこう】日本人、謙遜しすぎ問題
「つまらない物ですが…」
このセリフ、聞いたことの無い方はあまりいないと思います。贈り物を渡す際によく言いますよね。
手土産を渡すときなど、渡す相手を上げて自分をへり下らせた言い方です。This is Japanese...そんな魂を感じる言葉のつかい方ですね。
まあ、これに関しては私からは特に何も無いのですが、このように日常的に謙遜することが多い人がたくさんいるように思います。
手土産くらいなら、謙遜したところで悲しむ人はいないでしょう。ですが、これがこと人間となると話は別です。
たとえば、子供を連れたお母さん同士が買い物中にばったり会いました。そこで少し会話をしたとしましょう。
「おたくの娘さん、挨拶もしっかりしてて本当に偉いわよね!」
褒められた子どもが嬉しそうにほくほくしていると、すかさずその子のお母さんは、
「いえいえ、家にいる時は全然ダメなんですよ。怒られてばっかりで。」
なにが悪いの?と、思う方も多いと思います。よくある光景じゃない、と。
現にこういう風に育ってきた人もたくさんいるでしょう。
でも、せっかく褒められたのにこんな風に言われて、子どもはしょげると思うのです。
いくら後から、「本当はそんなこと思ってないからね」なんて言ったところで、子どもは忘れません。
これはほんの一例です。普段の生活で、「思い上がっていると思われるかも...」「生意気に見えるかな...」などなど、いろんな理由で謙遜する場面があると思います。
けれど、本来の謙遜は自分で完結するものです。そして、謙遜とはこき下ろすことでもないのです。
だからこそ、私は言いたい。多少生意気に見えたっていいじゃない。
幸せなら幸せそうにしていて、いいじゃない。
人が幸せそうにしているのを見て不機嫌になるような人は、放っておけばいいじゃない。
もっとみんなで幸せになればいいじゃない。
ひとりひとりが幸せに暮らせる時代を作っていけるようになりたいなぁ、と思うこげぱんでした。